疑いなく第二次大戦における最高の艦上戦闘機として認められているF4Uコルセアーは高度6,000m以下では多くの点でP-51ムスタングより優れているくらいであった。 開発は1938年2月、アメリカ海軍が出した艦上戦闘機の設計コンテストの布告に応じて始まった。 搭載することになっていた強力なプラットアンドホイットニーの新型エンジンXR-2800ダブルワスプの能力を最大限に引き出すため戦闘機としては例のないほど長大なプロペラを採用し、そのために主脚が長くなりすぎるのを防ぐために逆ガル形式の主翼とした。 試作機の初飛行は1940年5月。 テスト飛行の期間で最高時速646kmを出し、時速が400マイル/時(640km)を超える始めてのアメリカの戦闘機となった。
武装は当初胴体と主翼に12.7mm機関銃2挺ずつであったが、ヨーロッパの戦訓によりこれでは不足であることが分かったため、機首の機関銃をやめ、主翼に6挺を装備することになった。 そのためもともと主翼にあった燃料タンクは胴体に移り、操縦席は1mも後ろにさがることになった。 これが着艦時の視界を妨げ、艦上搭載が遅れることになった原因である。
量産型が初飛行したのは1942年5月、その年の9月までには陸上基地を使用するアメリカ海軍海兵隊に配備され始めた。 1943年2月にガダルカナル島に配備され戦闘に参加した。
武器貸与法に基づいてイギリスに送られたF4Uはアメリカより早く艦上搭載が認められ、1943年7月から配備されはじめた。 1944年4月には空母ビクトリアスから発進した一隊はドイツ戦艦テイルピッツを雷撃する攻撃隊を援護している。 いっぽうアメリカ海軍でも1944年4月にいたりようやく艦上搭載が認められ、空母ガンビアベイに配備された。
F4Uは登場いらいたゆみない改良が続けられ、1944年9月に現れた4型では2,450馬力のエンジンを搭載し最高速度は実に746km/時にも達した。 戦争終了までにF4Uは2,140機の日本機を撃墜し、損失はわずかに189機であったと記録に残っている。 生産は1952年まで続き、後のファントムによって破られるまでアメリカにおけるもっとも長い間生産された戦闘機であった。
形式: 艦上戦闘機 エンジン:プラットアンドホイットニー R-2800-8 空冷2,000馬力 最大速度:668km/時(高度 6,096m) 巡航速度 293km/時 航続距離:1,633km 海面上昇率 951m/分 上昇限度:11,278m 自重:3,944kg 全備重量:6,350kg 全幅:12.48m 全長:10.17m 武装:12.7mm 機関銃6挺 生産台数:12,571
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