飛行機の揺籃時期の飛行家パーシバル.ホプキンス.スペンサーが1941年に設計した水陸両用機S-12は同年8月に初飛行した。 S-12は機体前部に箱型のキャビンを持つ独特のスタイルであった。 高翼型でプロペラはエンジンの後ろに置かれるいわゆるプッシャータイプといわれる構造であった。
1941年、アメリカの参戦と同時にスペンサーはリパブリック社にテストパイロットとして参加した。 1943年、スペンサーはリパブリックを退社、ミルズ社に入社した。 ミルズ社はスペンサーの試作機A-12を大々的に商品化しようとしていたのである。 スペンサーはミルズ社の持つ木材加工技術を応用して卵型のキャビンの魅力的なデザインに仕上げ、もとの雇用者であったレパブリック社に提示した。 リパブリック社はそれを見て戦争終了後帰ってくる大量の操縦士たちのレジャー飛行機としてもってこいであると判断、本機の開発権利を買い取り、直ちに全金属製として開発をスタートさせた。 RC-1サンダーボルト水陸両用機という型名を与えられ、1944年11月初飛行した。 パイロットはもちろんスペンサーである。
本機は12月にミズーリ―州セントルイスで行われたデモ飛行で大好評をはくし1972機の受注に成功した。 アメリカ陸海軍も本機に興味を示し海軍はシービーという名称を民間機にも付けることを許可したし、陸軍はOA-15の型式名で海難救助用として大量の発注を行った。
第二次大戦は1945年日本の降伏ですべて終了したが、その後のレジャー用の航空機需要はリパブリック社が期待したようにはならなかった。 ほとんどのパイロットは飛行機にふたたび乗ることを望まず家に帰ってしまったのである。 リパブリック社も民間機の分野をあきらめ軍用機の開発に戻らざるをえなかった。 かつてシービーの生産に使われた製造ラインはその後F-84サンダージェット戦闘機製造に使われている。
形式: 小型海陸両用機 エンジン:フランクリン 6AS-215BSF 空冷6気筒215馬力 最大速度:190km/時 巡航速度: 166km/時 上昇率:3.6m/秒 上昇限度:3,700m 全幅:11.47m 全長:8.5m 自重:885kg 全備重量:1,361kg 生産台数:1,060
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999
Gordon Swanborough “United States navy Aircraft since 1911” Naval Institute Press 1968
“Air International” Vol.15, No. 10 Oct., 1979
"Wikipedia"