「これはわが国には空気とパンと同じくらい必要とされている」と1941年、スターリンに言わしめた航空機がイリューシンIL-2地上攻撃機である。 ある意味ではヒットラーの攻勢を押し返すソ連の力のシンボルとなった。
スペイン、中国戦線の経験からして低空からの地上攻撃が有効であることが分かっており、同時に地上攻撃機は地上からの対空射撃を突破するためには有効な防弾装置が必須であることも認識されていた。 このような環境で1938年セルゲイ.イリューシンを長とする設計局によって単発の地上攻撃機の開発が始められた。 同じような目的でスホーイ設計局も開発を始め、こちらはSu-2攻撃機となったがぱっとしなかった。
IL-2の第一号機は1939年春に姿をあらわしたが飛行テストの結果はかんばしいものではなかった。 エンジン(液冷12気筒AM-351,130馬力)は馬力不足であり軸方向の飛行安定性が悪くしかも前方視界が悪いという評価を受けたのである。 当初複座機として設計されていたのを単座に変更し、前方視界を改善するためエンジンの位置を17cm低くし、操縦席が5cmあげられた。 武装も7.6mm機関銃4挺から23mmPTB-23機関砲2門と7.6mm機関銃2挺に強化されさらに両翼下に8個のロケット弾ランチャーが備えられた。 同時に後部席の部分に燃料タンクと12mmの防弾板が追加された。 翌年の10月にこの改良型が飛行し、ほとんどの面で満足すべき結果が得られたことが報告された。 その後のテストで23mm機関砲の反動が予想の2倍にもなり強すぎるので20mm機関砲ShVAKに変更された。 1941年2月、軍の公式テストが行われ400kgの爆弾と20mm機関砲弾420発と1,500発の7.6mm機関銃弾を含めて総重量5,310kgで離陸、海面で時速433km、高度2,460mで450kmを記録した。 ただちに大量生産計画がスタートし単一機種としては世界最高記録となるIL-2シュトルモビクの輝かしい経歴が始まったのである。 西欧の基準からするとつくりは粗雑であったが製造は半熟練工でも容易にでき、十分な訓練を受けていなくても操縦は容易であった。 構造はがんじょうで驚くほどの戦闘ダメージに耐えることができたが、その反面動きが緩慢で敵戦闘機の攻撃には弱かった。 IL-2の最大の特徴は機首前部をすべて4mmから8mm厚さの鋼鉄板を特殊な方法で溶接してつくり、その中にエンジン、パイロット、燃料タンクなど重要な部分を収納したことである。 この重量をささえるために主翼面積は巨大なものになった。 主脚をひっこめた状態でもタイヤは半分露出した構造になっており胴体着陸を余儀なくされたときでも着地のショックを和らげるような配慮がなされた。
世界最高の地上攻撃と評され累計生産台数は36,000機を超えた。 ソ連のあらゆる最前線で活躍し、戦後になってもハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキア、中国など共産圏諸国に供給され朝鮮戦争にも使われた。
形式: 単発地上攻撃機 エンジン: AM-38液冷1,675馬力1基 最大速度:450km/時(高度 4,000m) 巡航速度: 330km/時 上昇時間:1分36秒(1,000mまで) 航続距離:638km 上昇限度:7,800m 重量:3,900kg 全備重量:5,510kg 全幅:14.60m 全長:11.65m 武装:20mmShVAK機関砲2門、7.62mm機関銃2挺、爆弾 400kg 生産台数:36,163
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994