イリューシン IL-2M

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AIRFIX製 1/72

「これはわが国には空気とパンと同じくらい必要とされている」と1941年、スターリンに言わしめたイリューシンIL-2地上攻撃機を複座型にしてさらに強力な攻撃力と防御力を持たせたもので、大戦後半はソ連陸軍行くところにIL-2ありというくらいに、攻勢にでるソ連の力のシンボルとなった。  1941年、ドイツ軍によるソ連侵攻が始まったころから登場したイリューシンIL-2地上攻撃機は胴体前半部を特殊な方法で溶接した鋼鉄の板で作りその中にエンジン、燃料タンク、操縦席など飛行機の心臓部分を入れてしまうという画期的な設計であった。 対地攻撃に猛威をふるい、1942年のスターリングラード攻防戦で大活躍、ソ連の地上の兵士からは愛情をこめて”イリューシャ”と呼ばれ、敵のドイツ軍からは”黒い死”といわれて恐れられる存在となっていた。 ただ一つの難点は搭乗員はパイロットだけで後方からは無防備であったため後方から襲いかかる敵戦闘機には脆く損害が増加する原因となっていた。 そのため現地で複座に改造し後部席に銃手をのせることが行われた。 もちろんこれでは不十分で本格的な複座型を製造する計画が進められたのがIL-2Mである。  IL-2Mは1942年11月から前線に姿を現しはじめた。 エンジンは強力な1,770馬力AM-38Fになり機関砲もより強力な23mmVYa-23になった。 後部銃手の武装は12.7mm機関銃1挺である。  IL-2Mの生産は1943年になって急ピッチで上がりその年だけで11,000機も生産された。 後部席の銃手も防弾版で囲われ木金混合であった機体も全金属性になり、一段と貫通力を増した37mm機関砲を搭載、爆弾搭載量も600kgに増やされた。 変わったところでは尾部に備えた手りゅう弾発射器を備え、後ろから迫ってくる敵戦闘機目がけて発射するものもあったが、実際の効果については記録がない。   IL-2の攻撃法は2機一組で地上すれすれの超低空で敵に奇襲する方法があり、厳重に防護された目標に対しては、10機が高度2000mから一機づつ急降下して攻撃する方法があった。 さらに効果的だったのは”死のサークル”といわれた攻撃法であった。 これは目標上空で円を描きながら飛び、1機ずつ降下しては爆弾あるいは機関砲を目標に浴びせ、弾薬がが尽きるまでこれを繰り返すものであった。 クルスクの会戦ではこの戦法で20分の間に70台のドイツ戦車を破壊するなどドイツ戦車軍団を壊滅させるのに一大殊勲をあげたのである。  ドイツ軍が後退するにつれてIL-2の姿があらゆる戦線で見られるようになり”空飛ぶ歩兵”といわれるになったほどであった。   世界最高の地上攻撃と評され累計生産台数は36,000機を超えた。 ソ連のあらゆる最前線で活躍し、戦後になってもハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキア、中国など共産圏諸国に供給され朝鮮戦争にも使われた。

 
性能諸元(IL-2M3)

形式: 単発地上攻撃機   エンジン: AM-38F液冷1,770馬力1基   最大速度:439km/時(海面上)   巡航速度: 330km/時   上昇時間:12分(5,000mまで)   航続距離:765km   上昇限度:6,000m   重量:4,525kg   全備重量:6,360kg   全幅:14.60m   全長:11.60m   武装:23mmVYs機関砲2門、7.62mm機関銃2挺、12.7mm旋回式機関銃1挺、爆弾 600kg   生産台数:36,163(各型合計)

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994