イリューシン IL-4

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REVELL製 1/72

1937年、ソ連を代表する爆撃機はイリューシンDB-3でこれはドイツのハインケル He 111やイギリスのハンプデンに比肩するものであった。 1938年夏、エンジンをフランスのノーム.ローヌ社製からの発展形であるM-87A(950馬力)に替え可変ピッチプロペラを採用した改良型が現れた。 機首の不格好な銃座は取り払われ空気抵抗の少ない細長い機首になり1挺の7.62mm機関銃が装備されていた。 新しい機首のおかげで空気抵抗が減り、重量軽減の効果が得られ、また爆撃照準士の場所に余裕ができた。 この新型機の前線配備は1940年4月から始まり型式名も設計局の名前をとったIL-4に替えられた。 IL-4は1941年5月のドイツの侵攻に対して1000機近くが激しく戦った。 IL-4はその後も改良が続けられ戦争全期を通じて使われた。 ドイツ軍の侵攻にともない半分以上の航空機製造施設がウラル山脈の裏に移動したがIL-4の生産工場はどうされたのか定かではない。 ただM-87Aエンジンの製造工場が移設されたので少なくとも3か月はエンジン供給は止まってしまった。 同じように深刻な問題はアルミニウムの不足であった。 戦闘機と地上攻撃機IL-2に優先されたためである。 そのためできるところはすべて木製構造にすることが求められた。  他のすべてのソ連の航空機と同じくIL-4は厳しい環境に耐えねばならなかった。 舗装されていない荒れ地の滑走路に離発着し、酷寒のなかでも機体を収容するハンガーなどは期待できなかった。 通常の防御火器は機首と胴体後部に配置された3挺の7.62mmShKAS機関銃であったが、これらは1942年から12.7mm機関銃に置き換えられていった。 IL-4の大きな特長のひとつは長大な航続距離であった。 1トンの爆弾を積んで4,250kmの距離を飛ぶことができたのである。 短距離ならば2.5トンの爆弾を搭載することができた。 1942年夏までには新工場の生産が軌道に乗るいっぽう、IL-4の機体をほとんど木製にすることができてアルミニューム不足に悩まされることもなくなり生産量は月ごとに増え1944年に生産が打ち切られるまでに5,256機のIL-4が作られた。 ソ連の記録はあまり多くわかっていないが、1941年8月の夜15機のIL-4がその長大な航続力を利用してベルリンを爆撃したことが分かっている。 またIL-4は約1/3がソ連海軍にも使われ、海軍型は魚雷を搭載することもできた。  

 
性能諸元(IL-4)

形式: 双発爆撃機   エンジン:M-88B液冷1,100馬力2基   最大速度:429km/時(高度 6,700m)   巡航速度:320km/時   上昇時間:12分(6,700mまで)   航続距離:3,800km   上昇限度:9,700m   重量:5,800kg   全備重量:8,380kg   全幅:21.44m   全長:14.80m   武装:7.62mm旋回式機関銃3挺、爆弾 2,500kg   生産台数:6,800

参考文献

Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.13”Columbia House
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994