航空機設計者のV.M.ペトリャコフは1937年、スターリンの粛清を受け逮捕されたが禁固状態のままで航空機の開発業務を続けることを命令された。 任務は双発複座の高高度迎撃戦闘機の開発であった。 ターボスーパーチャージャー、与圧キャビンその他の最新技術が盛り込まれ、1939年なかばに基本設計が承認された。 全金属性、双発、低翼で二つの垂直尾翼をもつ構造であった。 エンジンはM-105液冷12気筒1,100馬力、武装は20mmShVAK機関砲4門と1挺の7.6mm旋回式機関銃であった。
試作第一号機は1939年12月に初飛行し時速535km(高度6,000m)を記録し、翌年5月のメイデイのパレードでは赤い広場上空を飛行した。 軍による公式テストは1940年5月に終了したが、このころには仮想敵であるドイツ空軍はソ連の奥地深く侵攻できる高高度爆撃機を持ってないことが判明し、本機は必要なしとして計画はキャンセルされてしまった。 一方対地攻撃機は必要とされていたが、この目的に使うべく開発されたヤコブレフYak-4は期待外れであったので1940年5月、軍はペトリャコフの試作機に目をつけ急降下爆撃もできる地上攻撃機としての開発を命じた。 低空での活動が主となるため与圧キャビンは撤去され、機首前部の下部には透明なパネルが埋め込まれ下方視界が改善された。 機首の機関砲も削除されかわりに7.6mm機関銃2挺がつけられ、4個の100kg爆弾を収納できる爆弾倉が設けられ、さらに主翼下に2個の100kg爆弾を吊り下げることができた。 Pe-2の型式名を与えられ1940年6月に大量生産が発注された本機は翌年6月に始まったドイツ軍の侵攻をくいとめる矢面にたつことになった。 1941年の前半まで458機が完成、その年の終わりまでにさらに1,214機が作られた。 もともとが戦闘機出身の機体であるから空気抵抗の少ない洗練された形状で速度がはやいうえに運動性がよくドイツのメッサーシュミット戦闘機も本機を捕捉するのは苦労したという。 大戦初期にイギリスのハリケーン戦闘機とともに作戦を行ったとき、護衛役であるハリケーンがつねにエンジンを全開にしなければPe-2に追いつかなかったという話があるくらいであった
1943年以降より強力なエンジンクリモフVK-105RF(1,210馬力)を搭載、最高速度が41km/時も増加した。 あらゆる面で卓越した能力を発揮したPe-2は一万機以上も作られ、ソ連空軍の地上攻撃部隊の中心的存在となり北海から黒海にわたり前線のすべてで活躍したのである。
形式: 双発地上攻撃機 エンジン: クリモフM-105R液冷1,100馬力2基 最大速度:540km/時(高度 5,000m) 巡航速度: 428km/時 上昇時間: 7分(5,000mまで) 航続距離:1,500km 上昇限度:8,800m 重量:5,876kg 全備重量:8,496kg 全幅:17.16m 全長:12.66m 武装:7.62mm機関銃2挺、7.62mm旋回式機関銃1挺、爆弾 1,200kg 生産台数:11,427
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “World War 2 Airplanes”, Rand McNally, Chicago 1978
Bill Gunston “Fighting Aircraft of World War 2”, Prentice Hall Press 1988
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare”
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994