大型機を得意とするツポレフが設計した4発の大型爆撃機でソ連が世界の最先端をいく航空機を作った最初である。 初飛行は1930年。 当時各国ではこのクラスは羽布張り構造で複葉機が標準であったがツポレフが採用したのは全金属製の単葉機であった。 世界はソ連の航空界にはまったく注目を払っていなかったため第二次大戦が勃発した後で始めて本機を見た専門家たちはその無骨な時代遅れの機体に軽蔑のまなざしを向けたのであるが、じつは本機は10年も前に設計されたものであることを見落としていたのである。
初飛行はアメリカのカーチス社製コンカラーエンジンを搭載して行われ、多少の技術的問題はあったものの極めて優れた爆撃機であることを実証し、1年足らずの間に2つの工場で量産されることになった。 最初の量産型はドイツのBMW VIエンジン(730馬力)をライセンス生産したM-17エンジンを搭載、1932年のメイデーのパレードでは9機がデモンストレーション飛行を見せた。TB-3は世界のどの航空機よりも搭載量が大きく、8挺の7.62mm機関銃を備え重武装を誇った。 機体は胴体、翼とも金属の波板構造で厚い主翼の中をエンジンまで這っていけ飛行中に点検ができるようになっていた。 生産は1938年まで続き、最終型はM-34RFNエンジン(1,050馬力)を搭載した。
1933年には日本軍による満州征服に脅威を感じたソ連はシベリア方面にTB-3からなる3つの爆撃隊を極東方面に送っている。 これらは1938年、ササン湖付近での日本軍との衝突に参加し、またその翌年のノモンハン事変でも日本軍と戦っている。 ドイツによるソ連侵攻が始まって2ヶ月後には多数のTB-3が失われ、1941年10月時点では92機が残るだけとなり、これらは輸送部隊や時折行われた夜間爆撃などに使用された。 TB-3は爆撃だけでなく輸送やパラシュート部隊搬送など多くの用途に使われたが、変わったところでは単座戦闘機を翼下に吊り下げ、目的地近くでこれを放つというパラサイト戦闘機の実験に使われた。 これの最終型はI-16戦闘機を改造した急降下爆撃機を2機ぶらさげたTB-3 6機で構成された部隊がドイツ軍に対して攻撃を行っている。
形式: 4発重爆撃機 エンジン:M-34液冷970馬力4基 最大速度:229km/時(海面) 211km/時(高度3,000m) 上昇時間:4分6秒(1,000mまで) 航続距離:3,120km 上昇限度:4,500m 自重:10,956kg 全備重量:19,500kg 全幅:40.5m 全長:25.3m 武装:7.62mm 旋回式機関銃8挺、爆弾 4,000kg 生産台数:820
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
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Enzo Angelucci & Paolo Matricardi “Combat Aircraft of World War 2 1933-1937”
Bill Gunston “Aircraft of the Soviet Union”
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994
Bill Gunston “Tupolev Aircraft since 1922” Putnam Aeronautical Books 1995