ベレズニャク BI-1

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モデルは MACWTAB製 1/72

第一次大戦後航空機は非常な発達をみたがエンジンは通常の内燃機関が主でロケットなどの推進機関が顧みられることはなかったが、例外はソ連とドイツであった。  ソ連は早くも1934年にチュバセフスキー将軍の指揮のもとにロケットエンジンの研究機関を創設しており、1940年代にはロケット推進の迎撃戦闘機の開発に着手していた。 敵爆撃機の高度まですばやく到達し、攻撃の後はその高速を生かして敵の護衛戦闘機を容易にふりきることができるからである。 1941年にはレオニド.ダシュキンが推力1000kgを出し小型の戦闘機を駆動できるロケットエンジンを開発していた。 二人の技師アレクサンドル.ベレズニャクとアレクセイ.イサエフが設計図を描き当局に提出し、このふたりを中心とする設計局が誕生しロケット戦闘機の開発が正式に認められたのである。 ソ連空軍はこの計画におおいに乗り気になりBIという型式名を与え35日以内の試作機を作るよう命令した。 これは果たされなかったがそれでも60日で機体は完成した。 しかしロケットエンジンの開発がうまくいかず1941年9月に行われた初飛行はエンジンなしのグライダーであった。 その次の月には侵攻してくるドイツ軍を避けるため設計チームは奥地に避難を余儀なくされた。 BIは主翼の幅がわずか6mちょっとしかない非常に小型の飛行機で胴体のほとんどはロケットエンジンと燃料で占められそれは全重量の半分にもなった。  BI戦闘機の本当の初飛行は1942年5月12日である。 午後7時、ロケットエンジンに点火され機体はわずか55mの滑走ののち急角度で上昇し高度800mで水平飛行に移り飛行場の周りを一周して戻った。 トータルで3分9秒の飛行であった。 これが世界でも初めてのロケット推進戦闘機の飛行でありレーニン賞を受賞した。 テスト飛行が繰り返され高度10,000mまで達するのに59秒と驚異的な性能を示し、速度も990km/時が可能であるとの計算であった。 しかしロケットエンジンのトラブルに悩まされ続けた。 翌年3月、7回目の飛行テストで低空での高速飛行が行われたときに墜落しパイロットとともに機体は失われてしまい本格的生産の夢は消え去ってしまったが、その後も8機の機体が作られ、BI-2と名付けられ20mm機関砲2門を搭載したり翼端にラムジェットを取り付けて実験された。 BIプロジェクトは挫折したがこの後も空軍当局のロケットへの関心は続いた。 もっと大型の機体に大型のロケットエンジンを搭載したプロジェクトが続けられたが、ターボジェットエンジンの急速な発達にともない燃料の取扱いがやっかいなロケットエンジン推進の戦闘機にたいする関心が薄れていったのである。

 
性能諸元(BI-1)

形式: ロケット迎撃戦闘機   エンジン:ダシュキン.イサエフ D-!A-1100ロケット推力1,100kg   武装:20mm ShVAK機関砲2門   最大速度:965km/時(海面) 990km/時(高度5,000m)   上昇時間:59秒(10,000mまで)    自重:958kg   全備重量:1,683kg   全幅:6.48m   全長:6.40m   生産台数:7

参考文献

Yefim Gordon with Bill Sweetman "Soviet X-Planes Experimental and Prototype Aircraft,1931 to 1989"
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.7”
Green,Wiliam and Gordon Swanborough "Soviet Air Force Fighters World War 2 Fact Files"