ソ連空軍最初のジェット戦闘機である。 1945年2月、航空機設計者ミコヤンはクレムリンに呼びつけられた後直ちに設計チームを編成した。 ドイツのジェット戦闘機メッサーシュミットMe262をコピーした戦闘機を作るためである。 エンジンはBMW003Aを2基使用し、最高速度910km/時(高度5,000m)、航続距離820km、武装は57mmまたは37mm機関砲1門と23mm機関砲を2門備えることになっていた。 ミグ設計局では1944年から試験中であったRD-1と呼ばれていたジェットエンジンを使用した戦闘機I-300を開発中であったが、ミグチームは安全サイドの道をとり捕獲したドイツのBMW 109-003Aエンジンを使うことにした。 ライバルのYak-15はピストンエンジン戦闘機のYak-9の構造をできるだけ流用した設計であったが、Mig-9の機体はまったく新しい設計であった。2基のエンジンを主翼の下あたりの胴体下部に横にならべて配置し、すっきりした形態になった。 ドイツのMe262はエンジンを主翼に取り付ける構造であったのに対しミコヤンはエンジンを胴体内に2台平行にならべて収容することで空気抵抗を減少させて性能向上が図れることを期待したのである。
1946年4月24日ライバルのYakー15より1時間早く初飛行した。 しかし本プロジェクトに対する政治圧力は厳しかった。 スターリンからの命令は11月7日の革命記念パレードの日に15機を飛行させよという厳しい要求であった。 初飛行からわずか6ケ月しかない。
一号機は初飛行の1ケ月後墜落、パイロットも死亡してしまった。 これも作業を急ぎすぎたことによる悲劇である。 製造のための治具を作る時間はもちろんなく、すべて手作りであった。 そのため3交代制で一日24時間作業を行うなど必死の努力で10月15日までには要求されていた機数をそろえることができたが、パレード当日は霧がでたため飛行は中止となってしまった。
11月にはMIG-9の型式名を与えられて軍当局から承認され生産に入ることになった。 Mig-9は層流翼を持ちソ連はじめての前輪式降着装置を持つ戦闘機となった。 武装は機首に一門の37mm機関砲(弾数90)と2門の23mm機関砲(弾数各150)である。
1950年までに500機以上が生産された。 Mig-9FはBMWを参考にソ連が開発したエンジンを搭載したものである。 Mig-9Fは1950年にはMig-15に置き換えられている。
形式: 単座ジェット戦闘機 エンジン:RD-20(BMW 003Aのコピー)推力800kg 2基 最大速度:922km/時(高度 4,500m) 航続距離:800km 上昇時間:4.3秒(4,000mまで) 上昇限度:13,500m 自重:3,420kg 全備重量:5,054kg 全幅:10.10m 全長:9.83m 武装:37mm機関砲1門、23mm機関砲2門 生産台数: 約500
Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare Vol.17”
Green,Wiliam and Gordon Swanborough "Soviet Air Force Fighters World War 2 Fact Files"
Bill Gunston & Yefin Gordon “Mig Aircraft since 1937” Putnam Aeronautical Books 1998