ソ連は1936年、アメリカのダグラスDC-3を21機アエロフロート航空機会社用に購入し、同時にライセンス製造権も取得した。 設計技師のリスノフともう一人がダグラス社に2年間派遣され技術習得に務めた。 このソ連版DC-3は第84製造工場で作られPS-84の型式名を与えられた。 当初の予定では改造個所は最小にすることになっていたが、インチ規格で設計されたオリジナルをすべてメートル規格に設計しなおさざるを得ず、結局改造個所は1293箇所にものぼる大仕事になった。 極寒の地での使用のため他のソ連機と同じくエンジンの前にはシャッターがつけられた他はほとんど目に見えないような変更が多かった。 金属材料の関係で降着装置はソ連独自のものになり、車輪のかわりにスキーを装着したものもあった。 最初のPS-84輸送機は1939年から生産開始された。 1941年6月ドイツ軍の侵攻が始まったとき237機ができていたが、クレムリンは航空機製造工場をドイツ軍の手のとどかない東のタシュケントに移す計画を実行し、1942年から新工場が稼働を開始、Li-2の型式名で呼ばれた軍用機型が生産された。 これらは胴体上部の旋回式7.62mm機関銃座や爆弾架を備えていた。 軍用機型は器材やゲリラ兵士の輸送、爆撃、負傷者の搬送などに使われ、1940年から1954年の間に4,937機が生産されている。 戦後もソ連および東側諸国で旅客機や輸送機として運用されるなど改造・改装を受けながら幅広く活躍し、ソ連軍では1970年代まで運用された。 最後は中国、ベトナムなどで1980年代まで使われている。 ソ連は大祖国戦争(第二次世界大戦の独ソ戦)中に、アメリカ合衆国からDC-3の軍用タイプであるC-47を700機供与されており、こちらも軍用輸送機として大いに活用されている。
形式: 輸送機 エンジン:空冷M-62IR 2基 武装:7.7mm 旋回式機関銃1挺 最大速度:270km/時(海面) 巡航速度:240km/時 上昇限度:5,600m 航続距離:2600km 自重:7,650kg 全備重量:11,700kg 全幅:28.81 全長:19.65m 生産台数:4,937
Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994
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