べりエフ MBR-2

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モデルは FORMAPLANE製 1/72
バキュームフォームキット

後年ゴルギ.ミハイロビッチ.べリエフはソ連の飛行艇の設計を一手に引き受けるようになったが、MBR-2はその第一作であり、かつ第二次大戦全期を通じてソ連でもっとも広く使われた飛行艇である。 1931年、TsKB-25の型式名で設計され、翌年初飛行した。 テストで良好な性能を示したため、MBR-2M-17の型式名ですぐに量産に移された。 当初は開放型の操縦席を持ち、エンジンはソ連製のM-17(600馬力)、主翼の上に後押し型で取り付けられ4翔の木製プロペラを駆動した。 構造は金属製の翼に木製の胴体であった。 1935年、べリエフはMBR-2を徹底的に設計し直しMBR-2AM-34として誕生した。 新型は830馬力のM-34NBエンジンを備え、密閉型のコクピット、金属製の2翔のプロペラを採用し以後の標準となった。 1935年に生産が始まり、1942年に終了するまで約1300機が作られた。 300kgまでの爆弾か機雷、あるいは対潜用爆雷を主翼下に吊り下げることができた。 第二次大戦中はMBR-2は主に黒海と北方方面で多くの用途で使われ、その使いやすさと堅牢さで愛された。 1942年5月27日、爆撃を終えた2機のMBR-2は4機のメッサーシュミット BF109Eに襲われた。 MBR-22は直ちに下降して水面すれすれの低高度をとって、敵戦闘機が無防備の下から攻撃してくるのを防ぐと同時に、2機が緊密な編隊を組み、お互いに援護しあうようにした。 その結果2機のMBR-2は生き延びただけでなくメッサーシュミット2機を撃墜したのである。 MBR-2は乗客8人を載せる民間用輸送機としても使われるとともに多くの飛行記録を樹立した。 そのひとつが1937年5月に女流飛行士 P.D.オシペンコ操縦が立てた8,864mの高度記録である。 この記録はその後23年間破られなかった。

 
性能諸元(MBR-2bis)

形式: 短距離哨戒飛行艇   エンジン:ミクリン 液冷12気筒 860馬力  武装:7.7mm 旋回式機関銃2挺、爆弾300kgまたは機雷  最大速度:275km/時(高度2,000m)  巡航速度:194km/時  上昇限度:7,900m  航続距離:650km  全備重量:4,245kg   全幅:19.00m  全長:13.50m   生産台数:1,500以上

参考文献

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Bernard Fitzsimons ed. “The Illustrated Encyclopedia of 20th Century-Weapons and Warfare” Vol.17
Ed.: David Donald “Encyclopedia of World Aircraft” Prospero Books 1999
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MACH 1 (l’encycropedie de l’aviation) Editions Atlas
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994
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Bill Gunston “The Illustrated Encyclopedia of Combat Aircraft of World War Ⅱ” Salamander Books, 1978, New York