1938年に就役を開始したUT-2は第二次大戦全期を通じてソ連空軍の標準練習機であった。 前身であるAIR-9と同じく100馬力のM-11エンジンを搭載し、胴体は鋼管の骨組みに羽布張り、翼は木製の骨組みで羽布と合板のカバーであった。 試作機の初飛行は1935年7月。 UT-2は本来高等練習機であったが、テストの結果多少の改造をすればポリカルポフU-2初等練習機を代替できることが分かった。 より強力なエンジンを搭載し、構造的に強化した改良型が1937年9月に本格的生産に入り、1941年までにはUT-2は1,887機が作られた。 その後1948年に至るまでソ連空軍でもっとも重要な練習機となり、合計7,000機以上が生産された。 戦後、ブルガリア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアにも輸出されている。
形式: 練習機 エンジン:M-11E空冷 150馬力 最大速度:192km/時(海面) 上昇限度:3,500m 航続距離:500km 自重:616kg 全備重量:804kg 全幅:10.18m 全長:7.1m 生産台数:7,243
Elke C. Weal “Combat Aircraft of World War Two”, Arms and Armour Press, London 1977
Chris Bishop ed.“The Complete Encyclopedia of Weapons of World War 2”, Prospero Books, 1998
Lennart Andersson “Soviet Aircraft and Aviation 1917-1941” Putnam Aeronautical Books 1994fs